去年8月19日の午後、ちょうど立秋が過ぎた頃で
ナンアウに向かう道 空は海のように蒼く、
雲も形の移り変わりが早くて まるで物語を語っているようだ
東岸の海と山
ある古い友人は都市の仕事を置いて
私の希望通りに宜蘭のある小さな村へ逃亡してきた。
ナンアウに向かう途中私は熱心にエレンへ私の年代の校園民歌を教えた。
そのためエレンはずっとうとうとと寝ていた。
若くて綺麗彼のお母さんは道沿いの綺麗な景色に魅了され
完全にペラペラ喋る私を無視して、みんな楽しく地図で東岸にある小さな村を探してた。
私たちは日暮れ前に『水田屋』という民宿に着いた。
この綺麗でアットホームな民宿の玄関前には二匹の犬が立っていて、オーナーが私たちに直接
中まで入っていいよと手を振って言ってくれたら、二匹も道をどいてくれた。
どうやらそれは彼らが客を歓迎する方式らしい。
この静かな山で暮らすのにすごく適する、双子みたいな穏やかで人懐こい二匹の大型犬
時々蠅を追いかけて遊ぶぐらい以外はほぼ安静に暮らしている。
ナンアウ水田屋
友人が私たちに都市のホコリを洗い流させるため、山上の小さな温泉に連れていった。
二つ大きな山が夜が完全に暗くなるまで私たちの面影を包んだ。
都市で拝んだ事のない暗闇の中、山谷の隙間から見える夜空で輝く星を見た。
そして虫鳴りもはっきりと綺麗に聞こえた。
最初にこのナンアウ自然畑に尋ねてきた理由…
ある新竹科学園区から定年退職したナンアウ婿の江さんがエコ活動をしている仕聡さん及びIF奨を取った昭中さんを誘い、三人で宜蘭ナンアウの土地をレンタルした。彼らの希望は自然農法を使って、この土地で綺麗の米を提供し、人々の心も綺麗にすることだそうです。
私が自然畑を知ったのは、洪さんが同じ思いを持ってこの計画に参加した後だった。
自然畑はその名前どおり自然農法を使って農耕した畑で、自然農法は農薬も肥料も使用しない(化学肥料も有機肥料も)農作法の事で基本的に昔ながらの農耕法に戻す事で、
"土地は自ら動・植物に提供する養分を持っていて、余分に肥料を与える事は逆に土地の生命力を害する"と自然農法を支持する人々はそれを信じています。
新聞によると今私たちが今ファーストフードで食べる肉は皆ラクトパミンを投与されていると聞く。
それを食べたらどれほど体に悪いかも言っている。
土地に肥料を与える事はまさに土地にラクトパミンを投与する事と同じで、例え人体に被害を与えなくても土地に対して一種の負担に違いなく、その地上に住む生物もそのため、自然な生息と休養を得る事が出来ない事になっている。農薬についてはもっとひどく、過去十数年薬剤耐性が出てきた害虫を消滅するため、使用する農薬の毒性もどんどん強く、用量もどんどん増える一方だ。その農薬は農作物に残るし、土の中にも積み重なっていく。食物連鎖から言うとこの農薬が害虫を全て消滅できる前に大地の生き物を消滅してしまう可能性もある。そして当然私たち食用者の健康危機にもなる。
スクミリンゴガイは南アメリカ ラプラタ川流域原産だが、食用としていろんな国に持ち込まれた。しかしその後、採算が取れないため田野に放り投げられて農業史上最悪の災害となった。スクミリンゴガイの 生育力はとても強い、そして畑の中には天敵がないため迅速に全域をわたり、畑の中の若い芽が大範囲に食害を受けた。そしてスクミリンゴガイにはとても強い薬剤耐性をもっているため、この十数年間農夫たちがあらゆる農薬を使っても、本当にスクミリンゴガイを消滅した事は一度もなかった。
朝、この畑全域を渡る稲の苗に付着しているブドウ色のスクミリンゴガイの卵を見て『この農薬でも手を打ちようがないスクミリンゴガイは、この自然畑ではどれほど自由にご馳走になれることか...!』と思ったら洪さんは:『スクミリンゴガイが活動をするには水が必要なので、朝畑に水をやり、苗が十分に水を吸収したら水を全部流す。そうする事によって、苗に登ったばかりのスクミリンゴガイが苗を食べるや否や急いで土に戻らないといけなくなる。毎日こうやってスクミリンゴガイとカクレンボをして、苗が十分大きく育ったら植えたばかりの雑草のほうを好んで食べてくれるので、逆に除草をしてくれる益虫になりますね~』 と言った。
阿洪と自然田
『この自然界にとって害虫などは存在しない。あらゆる動物と植物はみんな依存をして同じ土地で生き、自分たちの生物連鎖の中の位置づけを見つけている。自然農法は私たちにどう土地を敬うか、どう自然と共生できるかを教えてくれる一つの信念』と、洪さんは言った。
洪さんも仕聡さんも昭中さんも、みんなとても親切な人で私たちに自然畑での経験を話してくれながら、新鮮な自然米を準備してくれた。街でブラブラ歩いてると、小学校ぐらいの男の子と女の子を連れた仕聡さんの奥さんと二回ぐらい遭遇した。彼女もこの街についたばかりなので色んなところを見渡し、ここで暮らすつもりらしいです。
帰りの車は少し重くなった。それは三人で我慢できず夜市で少しおやつを食べた以外、親戚や友人に配る予定の米は20袋もある、そしてある信念。この山の人々から習ってきた、土地への謙遜や敬う気持ち。今でも希望が溢れそうな信念だと思う。